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乳井建定[にゅうい たてさだ]
乳井 建定(にゅうい たてさだ)は、江戸時代前期の弘前藩の武士。 == 事績 == 津軽統一の功臣乳井建清の子供として生まれる。3000石を食み、津軽姓を許され、家老となる。寛永10年、津軽信義に召し抱えられた新参者の船橋長真に不満を示し、お役御免となった。その後も家老乾安儔と船橋長真が結託し、悪政を行っていることに不満を持っていたが、服部康成に諌められ、行動を控えていた。翌11年7月に信義に従い、将軍徳川家光の上洛の伴をした。翌月、江戸に戻ると譜代の家臣兼平信孝らと共に、船橋長真の放逐を求めた(船橋騒動)。寛永13年、江戸幕府より喧嘩両成敗の裁決が下った。そして、建定は兼平信孝と共に長府の毛利秀元、乾安儔と船橋長真は伊予松山の松平定行の元にお預けとなった。この騒動で服部康成の息子服部成昌が加賀前田氏に仕官するなど、多くの譜代の家臣が津軽氏の元を離れた。その後、建定は長門で死去した。乳井氏は弟建吉が継ぎ、子孫からは乳井貢などが出た。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「乳井建定」の詳細全文を読む
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