翻訳と辞書
Words near each other
・ 亀井小学校
・ 亀井希生
・ 亀井幸次郎
・ 亀井幹太
・ 亀井彰夫
・ 亀井忠一
・ 亀井忠雄
・ 亀井戸水神社
・ 亀井拓
・ 亀井政直
亀井政矩
・ 亀井文夫
・ 亀井文雄
・ 亀井昭宏
・ 亀井昭陽
・ 亀井村
・ 亀井正夫
・ 亀井武
・ 亀井氏
・ 亀井洋一郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

亀井政矩 : ウィキペディア日本語版
亀井政矩[かめいまさしのり]

亀井 政矩(かめい まさのり)は、江戸時代前期の大名因幡鹿野藩第2代藩主、のち石見津和野藩初代藩主。津和野藩亀井家2代。
鹿野藩初代藩主・亀井茲矩の次男。山中幸盛の義理の孫にあたる(血のつながりはない)。
== 経歴 ==
はじめ慶長7年(1602年)、徳川家康に仕えた。慶長9年(1604年)には豊前守の官位を叙され、徳川秀忠付の近習となった。慶長14年(1609年)に松平康重の娘と結婚し、慶長17年(1612年)に父が病死するとその跡を継いで鹿野藩主となった。
慶長19年(1614年)からの大坂の陣では、本多正信配下の軍に属した。元和3年(1617年)、石見津和野藩主だった坂崎直盛が凶行のために改易されると、その後を受けて津和野への移封を命じられた。元和5年(1619年)5月、福島正則広島城の無断改築で改易となると、堀尾忠晴森忠政らと共に城受け渡しの役を務めた。しかし政矩は、この頃から病中にあった。
同年8月、親しかった高台院に会うために上洛途上の伏見で落馬し、これが元で8月15日に30歳で死去した。跡は次男の茲政が継いだ。
なお、政矩には播磨国姫路藩に加増移封されるという話もあったが、早世したため実現せずに終わった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「亀井政矩」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.