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亀井茲方[かめい これかた]
亀井 茲方(かめい これかた)は、石見津和野藩の第10代藩主。津和野藩亀井家11代。 == 生涯 == 文化14年(1817年)2月27日、第9代藩主亀井茲尚の三男として江戸で生まれる。天保元年(1830年)12月に従五位下、能登守に叙位・任官する。そして同年同月に父が死去したため、天保2年(1831年)3月6日に家督を継いだ。しかし若年のため、しばらくは江戸に滞在した。天保2年(1831年)8月に長州藩で一揆が起こると、津和野藩は国境の警護に努めている。桜田組防火役を務めた後の天保5年(1834年)には江戸城二の丸修復手伝い普請をはじめ、天保7年(1836年)には大洪水の被害を受けてその対応に追われるなど、藩政は多難を極めた。一方で幕末の動乱を早くから感じ取り、天保8年(1837年)には武器奉行・細工奉行を設置するなどしている。 天保10年(1839年)6月21日、病気を理由に家督を養子の茲監に譲って隠居する。弘化3年(1846年)2月9日、江戸で死去した。享年30。 豊鶴という画号を称した画人であり、書画をはじめ、琴や碁に優れた才能を持った文化人であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「亀井茲方」の詳細全文を読む
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