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了翁道覚[りょうおうどうかく]
了翁道覚(りょうおうどうかく、寛永7年3月18日(1630年4月29日) - 宝永4年5月22日(1707年6月21日))は、江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。初め名を祖休といい、後に道覚とあらためた。号も初めは了然といい、後に了翁にあらためた。 == 生涯 ==
=== 生い立ち === 了翁道覚禅師は寛永7年3月18日(1630年4月29日)に出羽国雄勝郡八幡村前田(現秋田県湯沢市幡野)の貧農、鈴木家に生まれた。父の名は重孝。禅師の幼名は与茂治であった。生家は同地の曹洞宗普門山慈眼寺の門前にあったとされるが今はない〔1987年(昭和62年)、了翁禅師研究会会長田口大師により「了翁禅師生誕地」の碑と了翁の事績を記した案内板が建てられた。〕。翌寛永8年(1631年)、母が死亡。貧窮により同郡高屋敷村の高橋家の養子となるが、やがて養父母とも死亡し、そののち各地を転々とした。このように了翁の幼少時代は恵まれないものであった。11歳のときには、不吉な悪児とされ、真言寺院に預けられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「了翁道覚」の詳細全文を読む
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