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予南作戦[よなんさくせん]
予南作戦(よなんさくせん)とは、日中戦争中の1941年1月20日から2月12日までの間、河南省南部で行われた日本軍の作戦である。湯恩伯将軍の指揮する中国軍部隊が接近したため、日本の第11軍がこれに先制攻撃をかけて撃破しようとした。作戦の秘匿名称は和号作戦。この戦闘の中国側の呼称は豫南会戦〔予南・豫南ともに河南省南部の意。〕。 ==背景== 1941年(昭和16年)1月2日、10月中旬から所在のつかめなかった湯恩伯軍(第31集団軍)が遂平・項城付近一帯にいることが判明した。この湯恩伯軍は、古くから江北(長江北岸)の戦線で日本軍と戦闘を交え、前年の宜昌攻略後も日本軍と第一線で対峙していたため、第11軍の宿敵とも呼べる存在であった。日本軍の判断では、湯恩伯軍は安徽省南部の新四軍討伐を企図して東進したが〔『東部第5戦区敵情要図の件』。〕、給養のためにしばらくは現在地に留まるとみられた。早速第11軍では、この好機を利用し湯恩伯軍に対して決戦を求める作戦が立てられた。〔『支那事変陸軍作戦(3)』353-355項。〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「予南作戦」の詳細全文を読む
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