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『事故のてんまつ』(じこのてんまつ)は、臼井吉見による中編小説。筑摩書房の雑誌『展望』1977年(昭和52年)5月号に一挙掲載され〔羽鳥徹哉『作家川端の基底』(教育出版センター、1979年)230頁〕、同年5月30日に筑摩書房より単行本刊行された〔羽鳥徹哉・原善編『川端康成全作品研究事典』(勉誠出版、1998年)392頁〕。 1972年(昭和47年)4月16日に自殺したノーベル文学賞受賞作家・川端康成の自殺の真相を明らかにする、と新聞広告ではあおられたが、実名はなく、家政婦として大作家に雇われた信州の「鹿沢縫子」(仮名)という女性の語りの形式をとり、縫子がその作家にいたく可愛がられた様子と、1年ほどの務めののち、縫子が辞めて信州へ帰ると言った翌日に作家が自殺するというのが前半で、後半は縫子の語りによる「川端康成論」になっている。 == 裁判沙汰 == 『展望』は増刷するほどに売れたが、川端家(未亡人・秀子、養女・政子、女婿・香男里)は筑摩書房に苦情を申し入れた。死者の名誉権は成立しないというのが通説だったが、川端家は秀子の名誉も毀損されたと主張、数次の準備書面のやりとりがあった〔小谷野敦『川端康成伝―双面の人』(中央公論新社、2013年)〕。 また同作では、縫子を被差別部落出身者とし、川端自身もそうであるかにとれる記述があったため、部落解放同盟が介入して筑摩・臼井に抗議声明を出した〔木藤明「『事故のてんまつ』その後」(部落解放 1977年11月号に掲載)〕。筑摩書房は差別にかかわる個所を削除して単行本として刊行しベストセラーとなったが、川端家は東京地方裁判所に提訴した。臼井は、解放同盟の圧力もあり、8月に川端家と和解し、本作は絶版とされた〔。 週刊誌、女性週刊誌、月刊誌などで多くの記事が出たが、川端家側は細かな事実の間違いを指摘しつつ、家政婦の存在は否定せず、臼井の記述がある程度事実であることも否定しなかった。武田勝彦など川端研究者は、臼井を批判する側に回った〔。 同年10月、城山三郎の『落日燃ゆ』の登場人物のモデル(故人)の遺族が名誉棄損で民事提訴していた裁判で、故人の名誉棄損は事実に反するのでなければ成立しないという判例が出た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「事故のてんまつ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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