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二ッ山城(ふたつやまじょう)は、備後国(現・広島県三次市和知町字尾越(おごえ))及び庄原市山内(やまのうち)町字尾引(おびき)の二ッ山(標高382m)にあった日本の城。 == 歴史 == 平家の支配地であったこの辺りは,源平合戦などの恩賞として鎌倉幕府から地頭を任じられた相模国から下向した広沢与三実高(後に和智氏と名乗る)が最初に築いた城とみられている。 なお,和智氏は,三次市吉舎町(旧双三郡,その前は三谿(谷)郡)の平松城址,更に南天山城址へ移った〔広島県教育委員会編;“中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)”,1978年(昭和53年)3月〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二ッ山城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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