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二人の貴公子[ふたりのきこうし]
『二人の貴公子』(ふたりのきこうし、二人のいとこの貴公子、The Two Noble Kinsmen)とは、ジャコビアン時代の喜劇。最初の出版は1634年。かつては作者が誰かについて論争があったが、現在ではジョン・フレッチャーとウィリアム・シェイクスピアの合作ということで研究者たちの合意を見ている〔Erdman and Fogel, ''Evidence for Authorship,'' pp. 486-94; see also pp. 433-35, 467-69.〕。原作はジェフリー・チョーサー作『カンタベリー物語』の中の『騎士の話』である。シェイクスピアとフレッチャーの分担についても研究が進められ、たとえば、ハレット・スミスは『リヴァーサイド版シェイクスピア』の中で、「韻律の特徴、語彙、合成語、特定の縮約の頻度、比喩の種類と使用、特定のタイプの特徴的な行」をその鍵として挙げ〔Hallet Smith, in ''The Riverside Shakespeare,'' p. 1640.〕、以下の通りに分類した。(細かい点については異論もあるが、研究者たちも概ねこれに同意している)。
==創作年代とテキスト== 『二人の貴公子』と同時代の他の作品との関連から、この劇が書かれ、上演されたのは1613年から1614年と言われている。ベン・ジョンソンの1614年の戯曲『バーソロミューの市(Bartholomew Fair)』第4幕第2場に、『二人の貴公子』の主役の1人パラモンへの言及があり、これは当時の観客が『二人の貴公子』を知っていたということを意味している。さらに、フランシス・ボーモント(Francis Beaumont)の『The Masque of the Inner Temple and Gray's Inn』(1613年)の2つめの幕間狂言には『二人の貴公子』の簡略版が使われている。 『二人の貴公子』が書籍出版業組合の記録に登録されたのは1634年4月8日で、その年のうちに書籍商ジョン・ウォーターソン(John Waterson)によって四折版が出版された。印刷はトマス・コーツ(Thomas Cotes)。なお、「ファースト・フォリオ(最初の二折版)」(1623年)はじめどの二折版にもこの劇は収録されていないが、その代わりに、1679年の「second Beaumont and Fletcher folios(第二ボーモント&フレッチャー・フォリオ)」に収録されている〔Halliday, ''Shakespeare Companion,'' p. 507.〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二人の貴公子」の詳細全文を読む
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