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『娘道成寺』(むすめどうじょうじ)とは、歌舞伎舞踊の演目のひとつ。またその伴奏音楽である長唄の曲のひとつ。今日では、『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめどうじょうじ)が正式な外題である。 == 概要 == 能の道成寺に基づく。 *初演:宝暦3年 (1753年) 3月、江戸中村座の『男伊達初買曽我』(おとこだてはつかいそが)の三番目に上演。初代中村富十郎の白拍子(横笛)〔ただし渡辺保は富十郎が『娘道成寺』を初演したのはこの時ではなく、前年の宝暦2年(1752年)、京都嵐三右衛門座(京都北側芝居)において『百千鳥娘道成寺』の外題で演じられたのが最初であるとしている。『娘道成寺(改訂版)』渡辺保著(駸々堂、1992年)の93頁以降より。〕。 *作詞:藤本斗文〔江戸期の歌舞伎作者。初め三代目澤村宗十郎に役者として弟子入りしたが、享保20年(1735年)作者に転向し澤村斗文と称す。元文2年(1737年)藤本姓に改め中村座や市村座の狂言作者として活動した。『京鹿子娘道成寺』は斗文の代表作である狂言『男伊達初買曽我』の所作事として上演された。〕 *作曲:初世杵屋弥三郎、補作:初世杵屋作十郎(伝) *振付:初代中村傳次郎〔初代中村仲蔵はその著書『所作修行旅日記』の中で、『娘道成寺』は中村伝次郎が振付けをしたものだと記している。この中村伝次郎は仲蔵が養子に行った志賀山家(志賀山流)の人物で、中村座専属の振付師だった。〕 かつては道成寺伝説を題材にした「娘道成寺もの」と呼ばれる演目が複数あり、それぞれお家芸である独特の所作や振付けを盛り込んだものだった。外題も、初代瀬川菊之丞は『百千鳥娘道成寺』(ももちどりむすめ〜)、初代中村富十郎は『京鹿子娘道成寺』(きょうがのこむすめ〜)などとそれぞれ異なっていた。このうち、現在まで曲と振付けが揃って伝わるのは中村富十郎の娘道成寺のみになってしまったので、その外題が本外題として定着するようになった。 派生形に、二人の白拍子が踊りを競う『二人道成寺』(ににんどうじょうじ)や、立役が主役の『奴道成寺』(やっこどうじょうじ)などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「娘道成寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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