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二代目コロムビア・ローズ : ウィキペディア日本語版
コロムビア・ローズ
コロムビア・ローズアルファベット表記:''Columbia Rose'')は日本コロムビアの女性歌手で、2009年現在で3人存在する。
== 初代コロムビア・ローズ ==
本名は松本光世(旧名:斉藤まつ枝、1933年1月9日 - )、群馬県桐生市生まれ。
そもそもは戦前にデビューした松原操が東京音楽学校(現:東京芸術大学)に在学中だったことから、素顔を出さない覆面歌手の「ミス・コロムビア」として活躍し成功した例を参考に、「戦後初の覆面歌手」として会社の宣伝戦略から計画された。
1951年、「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝、日本コロムビアに入社。芸名の「コロムビア・ローズ」は会社名と、第2次世界大戦中、日本軍による連合国向けプロパガンダ放送を担い、米軍将兵から「東京ローズ」と呼ばれた女性アナウンサーをヒントに名付けられた。
1952年、「娘十九はまだ純情よ」でデビュー。「どうせ拾った恋だもの」や「東京のバスガール」など数々のヒット曲を生み、1960年には紺綬褒章を受章。ステージ、映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍するが、1961年に突如引退する〔自身の評伝で「今で言うと心身症、疲れちゃったのね、リサイタルを前にしていた(直前に控えていた)でしょ、いろんな面で疲れていたのだと思う。10年の区切り。歌を愛するからこそ誰にも負けないと思ってやってきたけど、愛するからこそ退きたい。それは今だと思ったのです。でも歌とは絶対離れないぞという思いはありましたね」と、引退を決めた理由とその心境を語っている。 〕。その後、1964年、日本コロムビア社員の松本巌と結婚(2004年に死別)、二人の娘に恵まれる(長女は舞台女優、次女はダンス指導者となっている)。昭和40年代の懐メロブームを機に歌手活動を再開、その後もステージ活動とともに、カラオケ教室の歌唱指導や歌謡コンクールの審査員、作曲家活動〔群馬県立あさひ養護学校校歌は「旧・桐生市立第一養護学校」時代の1963年、初代ローズが作曲を手がけ、現在も歌い継がれている楽曲である。尚、作曲家名義は結婚・改名前の「斎藤まつ枝」である。〕など、マイペースで活動している。
NHK紅白歌合戦に5回連続出場している(詳細は下記参照)。
2005年、一般財団法人・古賀政男音楽文化振興財団より日本大衆音楽の発展に貢献した功績を顕彰され、「大衆音楽の殿堂」入り。
2012年に歌手デビューから60年を迎えた。5月22日放映のNHK歌謡コンサートに出演し、紺の制服のバスガール姿で「東京のバスガール」を披露し、その間奏では東京タワーと東京スカイツリーを紹介するというバスガイドを行った。
2013年11月15日放送の「爆報! THE フライデー」(TBS)にVTR出演した。80歳で車を乗り回し、遠方の歌謡教室まで自ら運転して教えに行っている。また、車庫入れがかなり上手で、リポーターとして自宅に行き、彼女の愛車に同乗して自宅の車庫へ車を車庫入れするのを見た杉村太蔵も驚いていた。また、2015年7月17日放送の同番組では後輩のこまどり姉妹鎌倉葉山牛を堪能している模様が放送された。
2013年11月22日ゆうぽうとで開催された「日本歌手協会創立50周年記念 歌謡フェスティバル」に出演。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コロムビア・ローズ」の詳細全文を読む



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