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二宮 宣文(にのみや のりふみ、1949年11月17日 - )は日本の医学者。日本医科大学多摩永山病院 特任教授を経て、 現在は大学病院を除く病院の中では日本最大級の私立総合病院である医療法人鉄蕉会 亀田総合病院の救命救急科部長。医療法人塩田記念病院の救急科部長を勤める。 多国間の救命患者搬送や国際緊急医療などのサポート等を行う日本エマージェンシーアシスタンス株式会社の顧問医、医療法人里仁会二宮病院の理事もつとめている。 == 人物 == 1949年11月17日、三重県四日市生まれ。 日本の救命救急医療の第一人者として活躍。 専門は救急医学と災害医療と国際救急医療。徹底した現場主義で数多くの戦地や被災地へ出動。 邦人移送ではニュージランド地震、南アフリカでの観光客バス転落事件などの患者搬送業務にも従事。 アフガニスタン戦争時にはICRCペシャワール戦争外科病院で勤務する。 海外では、アフガン戦争の他、イラク戦争、スマトラ沖地震、パキスタン洪水、フィリピンレミンダナオ島台風災害、フィリピンレイテ島台風災害。国内では、阪神・淡路大震災、能登半島地震、新潟地震、新潟県中越沖地震、岩手宮城地震、東日本大震災などで 緊急医療チームの医師やリーダーとして治療にあたる。現代において、邦人の関係するほぼ全ての災害現場において医療活動実績のある異色の医師である。 日本医科大学多摩永山病院救命救急センター長を経て、同病院特任教授(-2015年)。 国際災害医療NPOであるHuMA(Humanitarian Medical Assistance)=認定特定非営利活動法人「災害人道医療支援会」常理事。 日本の救命医療の父と呼ばれ、旭日小綬章を受章した、日本医科大学名誉教授 山本保博に師事する。 学術分野としては日本医科大学救急医学と救命救急センターでの指導の他、ドクターカーシステム、国際救急と患者搬送(5年間で600回のミッションマネージメントと年10回ほどの海外派遣)をこなす。 第12回アジア太平洋災害医学会会長を拝命。 自身の経験を活かし、ドクターカーの必要性を重要視し、各種プロジェクトを積極的に立ち上げ、救急自動二輪車(ホンダ)ドクターカーエスティマ(トヨタ)。テロや震災時に機動的且つ緊急に出動できる安価でミニワゴンを改造したドクターカーNINO(スズキ)の開発の指揮をとる。〔 〕 〔 八王子経済新聞 〕 医療システム構築事業としては、現在は厚労省事業として東日本大震災の被災地宮城県気仙沼市本吉地区「健寿の駅システム」〔 〕、JICAのスーダンドクターカー普及事業などを行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二宮宣文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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