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二本松藩 : ウィキペディア日本語版
二本松藩[にほんまつはん]
二本松藩(にほんまつはん)は、陸奥国南部(岩代国安達郡(現在の福島県二本松市郭内三丁目)に存在した。居城は二本松城(霞ヶ城)。
== 藩の前史 ==
二本松は戦国時代まで畠山氏の所領であったが、天正14年(1586年)に伊達政宗が畠山氏を滅ぼして伊達領になる。天正18年(1590年)7月に小田原征伐北条氏直を降した豊臣秀吉は8月に会津に入り、奥州仕置とそれに伴う奥州再仕置により、二本松は会津の領主となった蒲生氏郷の領地となった〔糠澤『シリーズ藩物語 二本松藩』、P11〕。氏郷は織田信長の娘婿であり、これ以前は伊勢に所領を持っていた。蒲生時代には秀吉の命令で天正・文禄年間に検地が行われて蒲生領は91万9320石とされた〔。文禄4年(1595年)2月に氏郷は急死し〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P16〕、嫡子の蒲生秀行が跡を継ぐも、この際に秀吉の命令で会津黒川・白河・二本松を除く領内の城の大半が浅野長政幸長により破却された〔糠澤『シリーズ藩物語 二本松藩』、P12〕。秀行は家康の3女振姫と結婚するが、慶長3年(1598年)1月に下野宇都宮18万石に減封・移封となった〔〔坂本『シリーズ藩物語 宇都宮藩・高徳藩』、P13〕〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P17〕。
代わって会津に入部したのは、越後春日山城主の上杉景勝であり〔村山『シリーズ藩物語 高田藩』、P10〕〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P19〕、蒲生旧領と出羽庄内に佐渡を加えた120万石で入った〔糠澤『シリーズ藩物語 二本松藩』、P13〕。景勝は二本松のある積達地方の支城には安田能元下条忠親秋山定綱山浦景国市川房綱らを入れて固めた〔。秀吉没後、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いが起こり、西軍が敗れると景勝は徳川家康によって慶長6年(1601年)8月に90万石を減封の上で出羽米沢藩30万石に移封され〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P23〕、代わって会津から宇都宮へ移っていた蒲生秀行が60万石に加増されて入部し〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P24〕、二本松もその支配下に入った〔糠澤『シリーズ藩物語 二本松藩』、P14〕。秀行の時代には凶作・飢饉・大地震・風水害が起こり、それに加えて年貢の増徴と諸役の重負担で百姓の逃散が相次ぐ〔。秀行は慶長17年(1612年)5月に30歳の若さで死去し〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P26〕、嫡子忠郷が継ぐが〔、先代から続く家中内訌もあり、寛永4年(1627年)1月に忠郷も早世すると〔野口『シリーズ藩物語 会津藩』、P27〕、幕府は忠郷に継嗣が無い事を理由に会津領60万石を改易した〔〔(ただし名跡、所領は伊予で存続〔)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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