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二条吉忠[にじょうよしただし]
二条 吉忠(にじょう よしただ)は、江戸時代中期の公卿。関白左大臣二条綱平の子で、母は霊元天皇皇女・栄子内親王である。安祥院と号する。「吉」の字は将軍徳川綱吉からの偏諱。 == 経歴 == 元禄9年(1696年)2月元服して従五位下に叙され、禁色・雑袍・昇殿を聴される。同11年(1698年)12月従三位に叙されて公卿に列し、同12年(1699年)10月権中納言、同14年(1701年)2月正三位、同17年(1704年)2月権大納言、宝永4年(1707年)2月従二位に累進した。正徳2年(1712年)7月に前田綱紀の女・直姫(栄君)を正室として迎える。同年12月右大将を兼ね、正徳3年(1713年)7月左大将に転じ、次いで同5年(1715年)8月内大臣となる。享保元年(1716年)12月正二位に進み、同3年(1718年)正月左大将を辞するも、同7年(1722年)5月右大臣、同11年(1726年)9月左大臣に至った。同14年(1729年)11月従一位に叙され、元文元年(1736年)8月桜町天皇から関白の詔があり、同時に氏長者・内覧宣旨を賜ったが、同2年(1737年)8月3日所労のために辞職し、即日薨去した。享年49。墓所は二尊院。 後桜町天皇の外祖父に当たることから、33回忌の明和6年(1769年)8月に准三后を追贈されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条吉忠」の詳細全文を読む
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