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二条為氏[にじょう ためうじ]
二条 為氏(にじょう ためうじ)は、鎌倉時代中期の公卿・歌人。藤原北家御子左家の嫡流で、権大納言藤原為家の長男。和歌の家である二条家(二条派)の祖。 == 生涯 == 嘉禄2年(1226年)叙爵。侍従・左少将・左中将を歴任し、建長2年(1250年)蔵人頭。建長3年(1251年)に参議として公卿に列し、累進して正二位・権大納言に至った。父為家に和歌の指導を受け、大覚寺統に近侍して歌壇で大きな力を持った。 正統な御子左家(二条家)の当主であったが、相続に関連して弟の為教・為相(継母は阿仏尼)と不和になったため、京極家・冷泉家という別家ができた。 弘安8年(1285年)8月に出家し、法名を覚阿と称した。弘安9年(1286年)9月14日薨去、享年65。阿仏尼と播磨国細川荘(現在の兵庫県三木市)の領有を巡って訴訟があり、鎌倉に下向してその地で没したと推定される。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条為氏」の詳細全文を読む
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