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二条 良豊(にじょう よしとよ、天文5年(1536年) - 天文20年9月2日(1551年10月1日))は、戦国時代の公卿。関白左大臣二条尹房の次男。兄弟に関白二条晴良・尋憲らがいた。 天文18年(1549年)に14歳で元服し、正五位下左近衛少将に叙せられる。翌年には従三位左近衛中将に昇進するが、天文20年(1551年)正三位非参議であった良豊は父とともに周防国の戦国大名大内義隆の本拠である山口に滞在中に陶隆房の謀叛に巻き込まれ、山口の法泉寺、次いで長門国(現在山口県長門市)の大寧寺に逃れるが、父を陶軍に殺害され、良豊も大内義隆自害後に陶軍に捕われて自害して果てた(大寧寺の変)。墓所は大寧寺の父の墓の隣にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条良豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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