|
二階堂 行久(にかいどう ゆきひさ、元久2年(1205年) - 文永3年12月17日(1267年1月13日))は鎌倉時代中期の幕府実務官僚。二階堂行村の子で評定衆。兄弟に二階堂基行、二階堂行義、二階堂行方、二階堂惟行がいる。通称は隠岐四郎左衛門尉、隠岐大夫判官、常陸入道。出家後の法名は「行日」。 『吾妻鏡』には寛喜2年(1230年)12月9日から弘長3年(1263年)正月18日まで記載がある。 == 履歴 == * 延応元年(1239年)4月13日 - 蒙使、宣旨、左衛門尉。 * 仁治2年(1241年)4月9日 - 叙留。 * 仁治2年(1241年)7月26日 - 従五位上。 * 寛元元年(1243年)4月9日 - 常陸介。 * 寛元3年(1245年)9月 - 出家。 * 建長元年(1249年)7月 - 鎌倉幕府評定衆。 * 弘長元年(1261年)3月 - 除評定衆。 * 文永3年(1266年)12月17日 - 卒、享年62。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二階堂行久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|