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二階堂 行盛(にかいどう ゆきもり、1181年(養和元年) - 1253年12月30日(建長5年12月9日))は、二階堂行政の孫で鎌倉幕府の政所執事、評定衆。 父二階堂行光のあと政所執事は行光の甥の伊賀光宗となったが、光宗が1224年(元仁元年)の伊賀氏の変で流罪となったあと行盛が就任する(『吾妻鏡』貞応3年(1224年)閏7月29日条)。1225年(嘉禄元年)に出家し法名を行然と名乗るが、政務を退いた訳ではなく、1253年(建久5年)12月9日に72歳で没するまで政所執事として鎌倉幕府の要職にあった。 以降この家系がほぼ政所執事を世襲し、最初は二階堂行泰が継ぐが、その子の早死になどで行盛の他の子、行泰の弟の二階堂行綱、二階堂行忠の家に移り、1286年(弘安9年)に行忠からその孫の二階堂行貞に受け継がれた。 == 参考文献 == * 細川重男『鎌倉政権得宗専制論』(吉川弘文館、2000年) ISBN 4-642-02786-6 == 関連項目 == * 鎌倉時代の人物一覧 * 二階堂氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二階堂行盛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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