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二階堂 貞明(にかいどう さだあき)は、下野喜連川藩の家老。号は量山(りょうざん)。 第9代喜連川藩主である喜連川煕氏に仕えた家老で、煕氏と一緒に藩政改革を行なった。だが改革は下士からの批判が強く、煕氏が亡くなると失脚した。 慶応4年(1868年)8月、子の貞則と明治政府に対して喜連川縄氏が会津藩と内通したと讒訴した。このため、縄氏によって貞明・貞則父子は斬首及び曝し首の刑に処された。享年53。 == 参考文献 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二階堂貞明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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