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五・三〇事件(ごさんじゅうじけん)とは、1925年5月30日に中国・上海でデモに対して租界警察が発砲し、学生・労働者に13人の死者と40人余りの負傷者が出た事件。中国語では「五卅慘案()」と呼ぶ。またこの事件に続く一連の反帝国主義運動を、五・三〇運動(中国語: 五卅運動 )という。 == 背景 == 1924年、第二次直奉戦争(zh)の余波で、中国国内は辛亥革命以来大規模な混乱を呈していた〔Waldron, Arthur, (1991) ''From War to Nationalism: China's Turning Point'', p. 5.〕 。 特に、上海を含めた都心部は深刻なインフレに見舞われ、加えて孫文の死去(3月12日)以降、国民党はそれら各都市での反帝国主義運動をますます活発化させていった〔Ku, Hung-Ting (1979). Urban Mass Movement: The May Thirtieth Movement in Shanghai. Modern Asian Studies, Vol.13, No.2. pp.197-216〕。一方共産党も上海大学の学生らを中心として同様の活動を行っていた。 上海に本来から居住していた中国人たちは、他の都市との結束力が強く、知識人たちは工場での劣悪な労働環境〔B.L (Jul 15, 1936). Shanghai at Last Gets Factory Inspection Law. Far Eastern Survey, Vol.5, No.15.〕や検閲に、一方労働者達は租界の地方議会で可決された12歳未満の児童に対する労働禁止法に、それぞれ不満を抱いていた。 こうして、上海市民達は租界に対する反感をつのらせていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五・三〇事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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