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五井持軒 : ウィキペディア日本語版
五井持軒[ごい じけん]
五井持軒(ごい じけん、寛永18年2月22日1641年4月2日) - 享保6年閏7月18日1721年9月9日))は江戸時代中期の儒学者。名は守任、通称は加助、本姓は藤原氏四書を重んじ、四書屋加助と渾名された。
== 生涯 ==
寛永18年(1641年)、五井守純と那須氏の間の次男として大坂に生まれた。幼くして祖父守香の下に預けられ、和漢の学問の手解きを受けた。明暦元年(1655年)には京都に遊学して伊藤仁斎中村惕斎に学び、貝原益軒兄弟や松下見林三輪執斎下河辺長流等と交わった。当初は医業を志し向井元升、中島長安に医学を学んだが、ある婦人を救えなかったことを期に儒学に転じた。当時儒学の盛んだった備前岡山藩に赴いたが、寛文10年(1670年)大坂に帰り、在坂儒者の先駆として勢力的に儒学を広めた。上総飯野藩保科正景大和郡山藩本多忠平から招聘を受けたが、固辞した。
享保6年(1721年)閏7月18日死去。3日後代々の墓所天満九品寺に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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