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五十嵐 邁(いがらし すぐる、1924年9月21日〔『現代日本人名録』〕- 2008年4月6日)は、アゲハチョウ科を中心にチョウの幼虫期の形態を研究した昆虫学者であり、ノンフィクション作家、実業家としても業績を残した。 == 経歴・人物 == 東京に生まれ、少年時代より昆虫少年として活動する。1947年東京帝国大学工学部建築学科を卒業。大成建設に就職して海外の現場を率先して引き受けつつ、赴任先では未解明のチョウの幼虫期の研究も行い、次々に成果を挙げた。この研究により1983年に京都大学で理学博士の学位を取得。論文の題は「The classification of the Papilionidae mainly based on the morphology of their immature stages(幼生期形態に主眼を置いたアゲハチョウ科の分類)」。 企業人としても実績は評価され、1979年から1985年にかけて大成建設の取締役を務める。定年退職後、退職金をつぎ込み、それまで全く幼虫期の生態や形態が不明だったテングアゲハ(Teinopalpus imperialis)の調査団を結成し、ヒマラヤ山脈のふもと、インドのダージリンで探索を行った。結果、キャンベリーモクレンが食樹であることを明らかにするとともに、各齢の幼虫形態の記載を行った。その後、信越半導体で社長となる。 チョウを対象とした学会である日本蝶類学会の発起人であり初代会長を務め、職を退いたのちに名誉会長となる。なお、日本蝶類学会の会名・学会誌名には五十嵐の研究対象であった「テングアゲハ」が通称として用いられており、学会誌の表紙も飾っている〔日本蝶類学会は2010年4月現在二つの団体に分裂しており五十嵐が名誉会長を務めた団体が日本蝶類学会(テングアゲハ)を名乗っている。〕。 作家としても、フィクション、ノンフィクション両面で著作を残している。父の五十嵐恵が美保関事件で沈没した駆逐艦蕨の艦長であったことから、事件の顛末を追跡調査して執筆したノンフィクション『黒き日本海に消ゆ―海軍・美保関遭難事件』と『美保関のかなたへ―日本海軍特秘遭難事』のほか、海外赴任中の体験をベースに著した小説『ある飾られた死』と『クルドの花』が知られる。自身も他の作家の記した小説のモデルとなっており芝木好子は彼をモデルとした人物を主人公に『黄色い皇帝』を執筆した。これは『旅立ちは愛か』の題で田中健を主役にテレビドラマ化もされている。 2008年4月6日、胃癌により死去。享年83。妻の昌子(よしこ)は、小坂徳三郎の娘である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五十嵐邁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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