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五十狭城入彦皇子 : ウィキペディア日本語版
五十狭城入彦皇子[いさきいりひこのみこ]
五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこ、生没年不詳)は、『日本書紀』等に伝わる古代日本皇族
『日本書紀』では「五十狭城入彦皇子」、他文献では「五十狭城入彦命」とも表記される。『古事記』に記載はなく、『日本書紀』でも事績に関する記載はない。
第12代景行天皇皇子である。
== 系譜 ==
日本書紀』によれば、第12代景行天皇と、後皇后八坂入媛命との間に生まれた7男6女のうち、10番目に生まれた皇子である。
先代旧事本紀』「天皇本紀」においても景行天皇皇子として五十狭城入彦の名が見え、さらに同書では五十狭城入彦が三河長谷部直の祖であるとする。
また『新撰姓氏録』左京皇別 御使朝臣条・右京皇別 御立史条では、景行天皇皇子の気入彦命(けいりひこのみこと)が応神天皇の命によって逃亡した宮室の雑使らを三河国で捕えたと見える。この「気入彦命」の記載は『日本書紀』『古事記』には無いため、五十狭城入彦と同一視する説がある〔一方、同じく景行天皇皇子の五百城入彦皇子に比定する説もある(「気入彦命」『日本古代氏族人名辞典 普及版』 吉川弘文館、2010年。)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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