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五山記考異(ござんきこうい)は建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の鎌倉五山と、関東十刹のうち禅興寺、諸山のうち長寿寺、報国寺、長勝寺について、所在地、山号、旦那、開山、諸塔頭、伽藍、諸寮、境地の名などを記した禅刹記である。 『改定史籍集覧』第26冊 に「五山記考異/附住持籍」として収められている。 日本史文献辞典などでは「鎌倉五山記考異附住持籍(かまくらござんきこういつけたりじゅうじせき)」として記述されることが多いが、『改定史籍集覧』ではタイトルは「五山記考異」で、その下に小さな字で「附住持籍」とある〔 史籍集覧26 p.615 〕。 『史籍集覧』は岡崎藩の儒者近藤瓶城(1832年-1901年)が、古典保存の目的で『群書類従』から漏れた諸書を編纂したものだが、そのときに同類の書を後ろに付け足したと思われ、その部分が後半の「附住持籍」(つけたりじゅうじせき)である。 この部分は建長寺の住持を開山の蘭渓道隆から178世まで。円覚寺は同じく無学祖元から152世まで記したものである。 従って前半の「五山記考異」と後半の「附住持籍」の作成年代は異なると思われており、『鎌倉市史・寺社編』は「五山記考異」の成立年代を戦国時代天文年間頃とみており〔 鎌倉市史・寺社編 p.341 〕、『日本史文献解題辞典』は後半を江戸時代初期とみている〔 日本史文献解題辞典 p.166 〕。 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五山記考異」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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