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五島盛徳[ごとう もりのり]
五島 盛徳(ごとう もりのり)は、肥前福江藩の第11代(最後の)藩主。五島家第31代当主である。 == 生涯 == 天保11年(1840年)6月17日、第10代藩主・五島盛成の三男として生まれる。兄の次郎吉や祥作らが早世したため、天保13年(1842年)に世子に指名された。安政2年(1855年)11月20日に元服し、12月16日に従五位下・近江守に叙位・任官する。安政5年(1858年)1月21日、父の隠居により家督を継いだ。 しかし生来から病弱で、実権はなおも隠居した父に握られていた。文久3年(1863年)に父の時代から始まっていた石田城築城が完成している。幕末期の中で次第に尊王討幕に傾き、慶応3年(1867年)10月に新政府より上京の命令を受けると、慶応4年(1868年)に上京して新政府に忠誠を誓った。このとき、新政府より海防強化のために分知していた富江領3000石の併合を許されたが、富江の領民による反対一揆が起きて併合に時間がかかり、明治2年(1869年)7月になってようやく合併を果たしている。 それより1ヶ月前の6月に版籍奉還によって福江藩知事に任じられた。明治3年(1870年)2月には職制改革を行なうなどしたが、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で藩知事を免職された。明治8年(1875年)11月11日、父に先立って死去した。享年36。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五島盛徳」の詳細全文を読む
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