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清水五条駅(きよみずごじょうえき)は、京都府京都市東山区にある京阪電気鉄道京阪本線の駅。旧称五条駅。駅番号はKH38。 == 歴史 == 当駅は1910年に京阪線の終着駅として開業、五条通の南側の琵琶湖疏水の上に駅舎が造られた〔鉄道ピクトリアル「京阪電気鉄道特集号」(電気車研究会、2009年8月増刊)P.81の掲載写真。〕。1915年に三条駅まで延伸開業、翌1916年から急行停車駅となったものの、太平洋戦争最中の1944年に急行停車は取りやめとなり〔『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』 P.34(関西鉄道研究会)〕、戦後の混乱期には駅そのものが休止されるなど、七条~三条間で唯一特急・急行が通過する時代が長く続いた。この当時、四条・七条と違って当駅は京都市電と交差していなかった。 また、この当時は鴨川は現在より川底が浅く1934年9月の室戸台風・翌1935年6月の鴨川大洪水では鴨川が氾濫して駅周辺も含め多大な被害を受けた〔『京都市水害史』(1936年3月、京都市発行、京都府立総合資料館所蔵(資料コード1104878531))〕ことから、川底の掘り下げ工事が行われた。この工事は太平洋戦争中も継続され、戦後に完成した。 駅施設は、太平洋戦争末期(1945年7月)に防火帯とするために強制疎開し更地となった五条通南側の空地と鴨川の間(琵琶湖疏水の上)にあったが、1955年頃に事業化された五条通の拡幅にともない、その障害となる駅施設を五条通の北側に移設〔出典:京阪開業100周年記念誌「京阪百年のあゆみ」資料編142頁〕のうえ、1959年・現在の五条大橋が竣工した〔市民しんぶん東山区版「こちら東山」(4)~過去から未来へ~(京都市、2009年9月15日号)〕。 その後、1967年(昭和42年)に大谷本廟の南側から山科を経由して逢坂山の手前で三条通へ接続する五条バイパスが供用されるとともに、国道1号が京阪京津線の走る三条通から五条通に変更され幹線道路の役割を担うようになったこともあり、朝夕の混雑時を中心に踏み切りで慢性的な渋滞が発生するようになった。 京阪線(東福寺 - 三条間)の連続立体交差事業が1975年(昭和50年)10月24日に都市計画決定、1977年(昭和52年)6月10日に都市計画事業認可、1979年(昭和54年)3月20日に地下化工事の起工式を行い〔鉄道ピクトリアル『特集 京阪電気鉄道』P.78「京都市内の地下化工事の経過と今後の予定」(電気車研究会、1984年1月増刊)〕、1987年(昭和62年)5月に地下化された。その後、付帯工事が継続して行なわれていたが、同年7月の集中豪雨により白川の水が逆流し、仮設堤防を破壊して埋め戻し工事区画から三条駅へ浸水、さらに地下区間の最深部にある五条駅に流れホーム階が約1m浸水した〔京都新聞1987年7月15日付夕刊・同16日付朝刊。〕。なお、付帯工事は1988年5月までに終了し、地上の廃線跡には都市計画道路「川端通」が建設・供用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清水五条駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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