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五来欣造 : ウィキペディア日本語版
五来欣造[ごらい きんぞう]

五来 欣造(ごらい きんぞう、1875年明治8年)6月 - 1944年昭和19年)8月1日)は、日本の政治学者、文学者、読売新聞主筆、明治大学教授、早稲田大学教授、皇化連盟代表。茨城県出身。五来素川(ごらい そせん)や斬馬剣禅(ざんば けんぜん)の筆名での作品を残す。青年時代に植村正久の教えをうけた敬虔なクリスチャンであった。
==来歴==

*明治8年(1875年)6月 - 茨城県久慈郡久慈村(現在の常陸太田市)に生まれる。茨城県常陸大田幡村、稲田信左衛門の営む「観水学舎」に学ぶ。一高入学。野球部に入部し明治28年(1895年)・29年(1896年)と選手監督を務め、野球用語の日本語訳を創作する(投手捕手一塁二塁三塁本塁右翼左翼中堅遊撃手など)。
*明治33年(1900年) - 東京帝国大学佛法科を卒業。弁護士を開業する。明治大学教授となり、明治大野球部に属す。
*明治35年(1902年) - 『東西両京の大学』を斬馬剣禅の筆名で、読売新聞に連載する。
*明治36年(1903年) - 『未だ見ぬ親』の邦題でエクトル・マロの「Sans famille」の翻訳を読売新聞に連載し、警醒社より出版した。
*明治37年(1904年) - この年からフランスドイツイギリスに留学。ソルボンヌ大学で政治哲学、法学を学ぶ傍ら東洋哲学、日本語を講義した。荻原碌山本保義太郎ら美術家に美術史講読会で講義する。
*大正2年(1913年) - この頃ドイツに在住。
*大正3年(1914年)2月 - 帰国。本野一郎外相の薦めで、読売新聞主筆となる。また、日仏両文によるフランスのPR機関紙である「極東時報」編集長をつとめた。このころ、『仏蘭西及仏蘭西人』(富山房)や『大帝那翁 第一巻』(養軒堂)などを著した。また、7月5日赤坂三会堂で『世界王朝の興亡と統帥権問題』と題して講演も行った。
*大正5年(1916年) - 大隈重信の秘書になる。明治大学図書館主事になる。
*大正6年(1917年) - 『大観』の主筆(大正11年(1922年)2月まで)になる。エクトル・マロ作 「En Famille」を『雛燕(ひなつばめ)』の邦題で、羽仁もと子婦人之友社の少女向け雑誌「新少女」に連載、続いて『花の咲くまで』を「新少女」に連載した。
*大正7年(1918年) - 早稲田大学政治学教授(以後昭和19年(1944年)死去まで)となる。『文明一新の先駆イタリア』(平凡社)を著す。
*大正8年(1919年) - パリ講和会議の随行として、渡仏する。
*大正11年(1922年) - フランス政府よりレジオンドヌール勲章を授与される。
*昭和4年(1929年) - 学位論文『儒教の独逸政治思想に及ぼせる影響』で政治学博士号取得。
*昭和5年(1930年)から6年(1931年)に国民新聞主席論説委員、愛知新聞主筆論説委員を勤めた。
*昭和6年(1931年)5月から昭和7年(1932年)8月にかけて渡欧(往路シベリア丸、復路シベリア鉄道)
*昭和7年(1932年) - 『日曜静観』(社会書房、装丁:恩地孝四郎、挿絵:小山敬三
*昭和10年(1935年) - 『ファッシズムと其国家理論』を著す。
*昭和12年(1937年) - 随筆集『動乱の静観』(東苑書房、題字:尾上柴舟、装丁:佐々木孔)を著す。
*昭和13年(1938年) - 早稲田大学創立55周年記念出版『人間大隈重信』(早稲田大学出版部)を著す。
*昭和14年(1939年) - 『滅共読本』を勝野金政 と共著。『現代の政治』、『政治学要領』を著す。
*昭和19年(1944年)8月1日 - 浦和市常盤(現在のさいたま市常盤)の自宅にて69歳で没す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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