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五浦六角堂 : ウィキペディア日本語版
六角堂 (北茨城市)[ろっかくどう]

六角堂(ろっかくどう)は、茨城県北茨城市大津町五浦(いづら)にある六角形建築物明治時代岡倉天心(岡倉覚三)が思索の場所として自ら設計したもので、茨城大学が管理する〔茨城新聞社 編(1981):55, 823ページ〕〔"実寸大の模型展示"産経新聞2012年1月22日付朝刊、茨城13版22ページ〕。五浦六角堂五浦の六角堂とも称する。「関東松島」の異名を持つ〔景勝地五浦海岸の中でも優れた景観を示すところに建つ〔茨城新聞社 編(1981):55ページ〕。岡倉天心旧宅・庭園及び大五浦・小五浦の一部として登録記念物に登録されている〔。
岡倉天心による六角堂は茨城大学美術文化研究所六角堂(いばらきだいがくびじゅつぶんかけんきゅうじょろっかくどう)の名称で国の登録有形文化財に登録されていたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う津波の直撃を受け、土台のみを残して姿を消した〔"被災地文化財300件 あぁ松島、六角堂消失"産経新聞2011年3月26日付、12版17ページ〕。2012年(平成24年)4月17日に完成式が行われ、再建された〔澤(2012):27ページ〕。
== 概要 ==
岡倉天心が1905年(明治38年)に〔自らの居宅から1段下った断崖に建設した〔大岡(1975):13ページ〕もので、太平洋に突き出した上に建つ塗りの建物である〔茨城新聞社(2011):107ページ〕。天心邸敷地内で最も眺望の優れた地に建つ〔「日研」新聞編集委員会 編(1991):4ページ〕。
岡倉自身は観瀾亭(かんらんてい)と呼んでいた〔。ここで岡倉は太平洋の波の音を聞きながら、思索にふけったという〔"国登録有形文化財 津波に直撃、流失 六角堂 復活へ一歩 茨城大 海底調査へ"東京新聞2011年4月19日付朝刊、社会11版22ページ〕。岡倉亡き後は、遺族や岡倉天心偉績顕彰会を経て、茨城大学の管理となった〔小泉(2011):8ページ〕。創建から現在に至るまで、日本の美術界において一種の聖地としての役割を果たしてきた〔小泉(2011):12ページ〕。
2011年(平成23年)の東日本大震災では津波による被害が甚大であったため、津波によって消失した六角堂は、文化財被災のシンボルとして受け止められた〔小泉(2011):6ページ〕。消失の報を聞いた日本の美術館関係者、岡倉との縁があるアメリカ合衆国ボストンのジャパン・ソサエティ関係者やインド研究者らは茨城大学に見舞いの言葉や電子メールを寄せ、さまざまな人々が重要な施設であると認知していたことが、改めて浮き彫りとなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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