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五社神社・諏訪神社[ごしゃじんじゃ]
五社神社(ごしゃじんじゃ)・諏訪神社(すわじんじゃ)は、静岡県浜松市中区利町、JR浜松駅の西北西約1kmの中心市街地にある神社である。 隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960年)に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社と称したものである。合併の後に神社本庁の別表神社に加列された。現社殿は昭和57年(1982年)の再建である。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めている。 == 五社神社 == 五社神社は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱の神を主祭神とし、ここから「五社神社」という社名になっている。元々は太玉命を祀る神社であったものに、春日大社の祭神四柱を勧請して現在の五柱となったものと見られている。相殿に応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀している。 戦国時代初期の曳馬城(後の浜松城)主・久野越中守が城内に創建したのに始まるといわれる。後に徳川家康が浜松城主になり、天正7年(1579年)に三男長松(後の徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して天正8年(1580年)7月に遷座、社領15石を寄進した。慶長15年(1610年)に秀忠から100石が寄進された。寛永11年(1634年)の家光上洛の際、東照宮(徳川家康)を勧請し、200石が加えられ、以降、300石の朱印地を領することとなった。明治6年(1873年)に県社に列格した。 かつての社殿は寛永18年(1641年)に家光の命で再建されたもので、大正3年(1914年)に特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されたが、昭和20年(1945年)6月18日に第二次世界大戦の戦災(浜松空襲)により全焼した。焼失した社殿は、拝殿・石の間・本殿が一体となった権現造であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「五社神社・諏訪神社」の詳細全文を読む
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