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五辻雅継 : ウィキペディア日本語版
五辻雅継[いつつじ まさつぐ]

五辻 雅継(いつつじ まさつぐ)は鎌倉時代初期の公卿。非参議正三位中納言五辻家経の二男。母は権大納言藤原成親の娘。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
建保3年(1215年)1月5日、叙爵。建保5年(1216年)9月8日、少納言に任ぜられる。建保6年(1218年)1月13日、安芸権介を兼ねる。承久元年(1219年)1月5日、従五位上に昇叙。承久3年(1221年)7月19日、正五位下に昇叙。貞応元年(1222年)8月18日、右少将に任ぜられる。貞応2年(1223年)1月6日、従四位下に昇叙。同月17日、右少将に改めて任ぜられる。貞応3年(1224年)1月23日、加賀介を兼ねる。安貞元年(1227年)1月5日、従四位上に昇叙。安貞3年(1229年)1月30日、出雲介を兼ねる。寛喜2年(1230年)1月5日、正四位下に昇叙。同年6月26日、怠状を提出する。8月2日には怠状が返却される。天福元年(1233年)7月25日、父の喪が明けて復任する〔父とは養父か。詳細は不明である。〕。暦仁元年(1238年)1月5日、従三位に叙される。延応元年(1239年)1月7日、正三位に昇叙。宝治元年(1247年)4月28日、出家〔『尊卑分脈』にも出家 五十という記述があることから、出家後それほど年月を経ずに死去したと考えられる。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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