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井上 久助(いのうえ きゅうすけ、慶長11年(1606年) - 万治3年10月10日(1660年11月12日))は、越後国新発田藩藩士である。新発田藩の危機(塩止事件)において、自ら無実の罪を被り、会津藩に斬刑に処せられ、藩を救った藩士。 ==人物== 父、八左衛門正実は若狭国高浜城の溝口秀勝に仕官し、戦場を馳駆した功臣であった。新発田藩時代は700石を賜り、在中の役目を果たしていた。その後、久助が5歳の頃に病で亡くなった。秀勝はこれを深く悼み、まだ幼かった久助に跡目を継がせ、その郎党すべての面倒をみた。これにより久助はその恩義を忘れなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上久助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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