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井上 公志(いのうえ こうし、1988年8月21日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 経歴 == 小学校2年時から野球を始め、高砂市立竜山中学校時代は遊撃手として活躍した。 育英高に進学し、投手に転向した〔。エースとなり挑んだ3年時の夏は、兵庫県予選4回戦で姫路工業高に2-4でサヨナラ負けを喫した。甲子園出場経験は無し。1学年先輩に若竹竜士がいる。 高校卒業後は、岐阜聖徳学園大学に進学し東海地区大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時からリーグ戦に登板し、3年時春には岐阜リーグで5季ぶりとなる優勝を果たした〔。大学の同期に埼玉西武の高橋朋己がいた。 高校、大学と目立った活躍が出来なかったため野球を辞めようか迷っていた際に、社会人野球のシティライト岡山で当時監督を務めていた住川順治からの誘いを受け入団する。1年目のから先発の一角として公式戦に登板するが、スタミナ不足から失点する場面が目立った〔。冬場に走りこみを徹底し、食生活を改善して挑んだ2年目のは、第83回都市対抗野球大会予選で強豪のJFE西日本を相手に9回途中まで無失点に抑える好投を見せた〔。全国大会での登板は無いが、第38回社会人野球日本選手権大会予選を視察に来たスカウトからはストレートの伸びを評価された。 、10月25日のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから6位指名を受けた。 、4月17日の対東京ヤクルトスワローズ戦で6番手として登板し2回を無失点で抑え、プロ初勝利を挙げた。 、背番号を53に変更したものの10月1日に球団から戦力外通告を受けた〔来季の契約について 中日球団公式サイト2014年10月1日配信〕。井上は引退すると共に、打撃投手として中日に残ることを表明した〔中日井上が引退、打撃投手で再出発 nikkansports.com、2014年11月14日 2015年1月26日閲覧〕。12月2日、自由契約公示された〔2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上公志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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