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井上士朗 : ウィキペディア日本語版
井上士朗[いのうえ しろう]

井上 士朗(いのうえ しろう)は江戸時代後期の俳人、医師。医師井上専庵として活躍する傍ら、加藤暁台門下で俳諧活動を行い、暁台の死後は名古屋の俳壇を主導した。
== 生涯 ==

=== 医業 ===
寛保2年(1742年)3月10日、尾張国守山村(愛知県名古屋市守山区)に生まれた〔岡田梅間『力草』「琵琶園士朗伝」〕。
叔父で名古屋新町の医師井上安清の養子となり、専庵と号し、宝暦7年(1757年)2月、医師として独立した〔。住所は安隆の代より名古屋新町中程北側(旧鍋屋町二丁目13,14番地〔)である〔。天明2年(1782年)の大火後、住居東に新道が作られ、専庵横町と通称された〔。現在の名古屋市東区泉二丁目4,5番と6,7番の間に当たる。
後に京都に上り、吉増周輔に師事、産科を得意とした〔。
安永6年(1777年)12月尾張藩御目見、天明4年(1784年)4月尾張藩御用懸、享和元年(1801年)2月二之丸御次療治を歴任し、享和3年(1803年)4月中風のため引退した〔。
専庵の医術は城下で有名で、ある時一万石を領するという藩の重臣が病に罹り、専庵が呼ばれた。治療に口を出さないことを確約した上で、熱湯を入れた塗盆に新鮮な馬糞から液を絞り出して与えた。患者が嘔吐すると、これを用いるには及ばないとして、別に薬を調合して与え、病勢が薄らいだという〔。
また、建中寺の方丈が病に罹った時、専庵が呼ばれ、治療に成功した。これに対し多額の金幣を贈られたが、これを受けず、再三の問答の後受け取り、米に換えて門前で貧民に配ったという〔。
長崎の画家勝野范古が三の丸屋敷長屋に差し置かれた時、赤塚明神主近藤求馬令章、鉄炮塚駒屋増兵衛春渚と共に画を学んだ〔。また、平曲荻野検校に学んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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