翻訳と辞書
Words near each other
・ 井上微笑
・ 井上徳三郎
・ 井上徹
・ 井上心平
・ 井上志摩夫
・ 井上忠
・ 井上忠佳
・ 井上忠信
・ 井上忠司
・ 井上忠夫
井上忠行
・ 井上怜奈
・ 井上恭平
・ 井上恵
・ 井上恵一
・ 井上恵美子
・ 井上悟
・ 井上悟 (アナウンサー)
・ 井上悟 (声優)
・ 井上悟 (陸上選手)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

井上忠行 : ウィキペディア日本語版
井上忠行[いのうえ ただゆき]

井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - 2007年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手プロ野球審判員セ・リーグ袖番号は21988年初採用から2001年退職まで、専任指導員に転じた1997年以降もつけていた。2004年以降は敷田直人がつけている。)。
== 来歴・人物 ==
八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局を経て1957年に、西鉄ライオンズ内野手として入団。主に中西太の控えとして一塁手三塁手をつとめ、1964年まで現役を続けた。現役時代の通算記録は、実働8年で584試合に出場し、945打数170安打の.180、18本塁打、71打点、3盗塁。1963年には日本シリーズにも出場している。
その後セ・リーグ審判部に入局、関西審判部の中堅として長年活躍した。審判員としての出場記録は通算3263試合、日本シリーズ6回(1984年1985年1987年1991年1994年1996年)、オールスター6回。日本シリーズでは、1985年1991年に第4戦、1984年に第7戦の球審をそれぞれ担当している。引退前年の1996年には、61歳という高齢ながらオールスター・日本シリーズに出場している。
有名な試合としては、1987年中日近藤真市によるルーキー初登板・初先発ノーヒットノーラン達成試合で球審をしていた〔井上忠行氏死去 元プロ野球セ・リーグ審判部副部長 47NEWS 2007年12月17日〕。井上はこの試合を振り返り、「5回辺りから記録達成の予感がした」と述懐している。また1993年6月9日の巨人対ヤクルト戦で、ヤクルトのルーキー伊藤智仁が16奪三振を奪いながら篠塚和典にサヨナラホームランを打たれた試合で球審。1994年10月8日の中日対巨人の同率首位決戦(10.8決戦)で一塁塁審、引退した1997年9月2日横浜ベイスターズヤクルトスワローズでヤクルト石井一久ノーヒットノーランを達成した試合で球審を務めている。
1997年に引退後、2001年まで審判指導員をつとめた。プロ野球マスターズリーグで審判をつとめ、他にも大東市などの少年野球の指導などで活躍していた。(中村剛也も所属していた大東市の少年野球リーグでは審判部長)
大柄な身体で、大食漢、ストライクゾーンが広い審判であった。1986年秋よりインサイドプロテクターを使用した(1987年開幕から使用。)。
2007年12月15日、沖縄でのマスターズリーグの試合後、急性心筋梗塞を発症し急逝。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井上忠行」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.