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井上正巳[いのうえ まさおと]
井上 正巳(いのうえ まさおと、安政3年1月5日(1856年2月10日)- 大正10年(1921年)9月14日)は、江戸時代の大名。常陸下妻藩の第14代(最後)の藩主、子爵。第13代藩主・井上正兼の次男。母は飯田氏。正室は戸田忠綱の娘。子は井上正国(長男)、井上正義(次男)、横田正頼(三男)、平田甫(四男)、娘(飯田某室)、娘(西尾勝順正室)。官位は従五位下、伊予守。幼名は辰次郎。辰若丸。 == 経歴 == 次男だったが、兄の孝丸が病弱を理由に廃嫡されたため、世子となる。そして慶応2年(1866年)11月23日の父の隠居により跡を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、はじめは幕府側に与して江戸城清水門の警備を務めた。後に新政府側に寝返ろうとしたが、旧幕府からの圧力を受け、一部の藩士が会津藩との戦いで会津側に与した。新政府からそれを咎められて、改易に処されかけたが、家老が懸命に弁明し、さらに佐幕派であった今村昇らを殺害したため、改易を免れた。 明治元年(1868年)11月25日、叙任する。明治2年(1869年)6月の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。大正10年(1921年)9月14日、66歳で死去した。墓所は東京都台東区の谷中霊園。 注)当人の墓は下妻市茨城県下妻市平沼新田164にある、妙円寺という日蓮宗の寺に昭和のころ旧藩士により移されています。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上正巳」の詳細全文を読む
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