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井上 正広(いのうえ まさひろ、明和9年9月22日(1772年10月18日)- 文化11年8月8日(1814年9月21日)?)は、江戸時代の大名。常陸下妻藩の第6代藩主。第5代藩主・井上正棠の長男。正室は仙石政辰の娘。官位は従五位下、遠江守、越前守。 幼名は一三郎。天明7年(1787年)3月、世子となる。寛政元年(1789年)3月14日、父の隠居により跡を継ぐ。寛政12年(1800年)7月4日、もしくは文化11年(1814年)8月8日に死去し、跡を弟の正建が継いだ。法号は義徳院顕理日覚。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上正広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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