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井上 正辰(いのうえ まさとき、元文元年(1736年)- 宝暦10年5月27日(1760年7月9日))は、江戸時代中期の大名。常陸国下妻藩の第3代藩主。正室は太田資晴の娘。子は井上正意(長男)。官位は従五位下、遠江守。 == 生涯 == 美濃国郡上藩主・金森頼錦の次男。初名は金森頼真。宝暦3年(1753年)、先代藩主の正敦の死去により、その養嗣子となって跡を継いだ。同年12月に叙任する。宝暦9年(1759年)7月、農民による愁訴事件が起こり、それが幕府にも知られて治世不良のために出仕を拒まれた。それが失意となったのか、翌年5月27日に25歳の若さで死去し、跡を長男の正意が継いだ。法号は義応院殿勧学日了大居士。墓所は東京都台東区の谷中霊園にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上正辰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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