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井上白文地 : ウィキペディア日本語版
井上白文地[いのうえ はくぶんじ]
井上 白文地(いのうえ はくぶんじ、1904年2月24日 - 1946年5月行方不明)は、福井県出身の俳人。出生名・岸本久七。敦賀生まれ。1906年、報恩寺住職の養子となり、井上隆證(りょうしょう)と改称〔細井啓司 「井上白文地」『現代俳句大事典』 61頁。〕。法華寺学林、第三高等学校を経て、1928年、京都大学文学部哲学科を卒業。その後関西大学立命館大学などで講師として教鞭を取る。
俳句は高校時代にはじめ、「京鹿子」「ホトトギス」「馬酔木」に投句。京大三高俳句会を復興し「京大俳句」を平畑静塔らと創刊。時事的な句や評論を執筆。1940年2月、京大俳句事件の第一次検挙に連座したが、不起訴。しかしこの事件により、内定していた関西大学教授のポストが反故になった〔栗林浩 『京大俳句会と東大俳句会』57頁。〕 。1945年応召、朝鮮ソ連軍捕虜となり、1946年5月25日、延吉市の収容所から他地域へ送られて以降消息を絶つ〔下記外部リンクの句碑写真(裏面)より(『井上白文地遺集』の転載)〕。
1981年、永田書房より『井上白文地遺集』刊。1982年、戦時死亡宣告が確定した〔。2005年、ゆかりの寺である姫路市飾磨区の法華宗妙諦寺にて代表句「我(わが)講義軍靴の音にたゝかれたり」句碑が建てられている。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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