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井上 真改(いのうえ しんかい、寛永7年(1630年) - 天和2年11月9日(1682年12月7日))は江戸時代前期に摂津国で活動した刀工である。本名は、井上八郎兵衛良次。 == 概要 == 津田越前守助広とともに大坂新刀の双璧と称される刀工。俗に「大坂正宗」などとも呼ばれ、現在重要文化財に指定されている刀と太刀がある(現在、江戸期に製作された刀に国宝指定は無い)。 刀の銘は壮年期まで「国貞」を用い、晩年「真改」と切る(「真改」の頃は御留鍛冶といって藩主の許可がないと作刀を引き受けられなかったため、「真改」銘の刀は少ない)。真改は陽明学を学び、中江藤樹の影響を強く受けたとも言われている。書をはじめ刀剣以外の美術・工芸にも造詣が深かったらしく、その書画も高く評価されている。酒豪だったらしい。 一説には和泉守を受領していた国貞に儒学者の熊沢蕃山に「刀鍛冶が一国の太守を名乗るとは分不相応ではないか?」と諭され、以来「真改」銘に改めたとされている。 作品の特徴としては直刃、まれに大湾れ互の目乱れを焼き津田越前守助広との合作もある。地鉄は大坂新刀屈指の美しさで、地沸が厚くつく。郷義弘に私淑していたと言われており焼入れは高温焼き入れで匂い口冴え、刃中もよく沸えて華やかになる。しかし代償として特に帽子下、焼き頭にムラ沸が付き、また土が落ちて匂い切れになってしまっている作もある。そしてハバキ元には鍛え肌が出るものもある。中茎尻には縦に隠し鏨を切る。 真改の父親も「国貞」銘を使ったため刀剣界では父親の作品を「親国貞」、真改の作品を「真改国貞」と呼んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上真改」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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