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井上篤太郎 : ウィキペディア日本語版
井上篤太郎[いのうえ とくたろう]
井上篤太郎(いのうえ とくたろう、1859年7月12日安政6年6月13日〕 - 1948年昭和23年〕11月28日)は実業家。現在の京王電鉄の前身、京王電気軌道の事実上の創業者。
== 略歴 ==
明治法律学校(現明治大学)を経て、愛甲郡役所の書記を務めた後、村会議員、県会議員、衆議院議員を務めた。その後、富士瓦斯紡績に入社し、後に玉川電気鉄道(現・東京急行電鉄)取締役に招聘される。その後、新宿~八王子間の鉄道建設を目指す京王電気軌道(現・京王電鉄)の専務取締役に就任し、大規模な経営改革を断行し、鉄道開通の実現を達成する。取締役社長、取締役会長を歴任し、約30年以上、同社の経営に携わった。会社の規模は決して大きくはなかったが、電力配給業と軌道業の二本柱で、京王の業績は好調だった。太平洋戦争の開戦直前、電力統制令により主力事業の電力配給業を国家に強制移管され、経営が弱体化。さらに、陸上交通事業調整法の適用により、京王は東急への統合を余儀なくされるが、井上は終始一貫これに反対し、あくまでも自主独立経営を主張した。しかし、京王の大株主である大日本電力が、東急に京王株を譲渡することに同意したため、1944年、京王は合併により東急電鉄京王営業局となった。井上は合併に伴い経営の第一線から引退し、東京急行電鉄取締役相談役に就任した。なお、井上は、社長を辞任する際の退職慰労金の15%を従業員に配分し、50%を郷里に寄付し、小学校建設(厚木市立三田小学校/寄付による校舎は昭和48年まで利用された)、橋の建設(才戸橋/寄付による橋は昭和61年まで利用された)のために資産を提供した。死去する半年前、井上が心血を注いで育てた京王電気軌道は、新会社・京王帝都電鉄として東急より分離独立し、現在に至っている。
1934年、明治大学専務(財務)理事に就任、1946年8月14日〔『官報』第5881号、昭和21年8月21日。〕から翌年にかけては貴族院勅選議員を務めた。生糸および絹紡績の特許権十数件をもつ。
子息の井上正温は、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)元監査役。運輸省から京王帝都電鉄に招聘され社長をつとめた井上正忠は孫にあたる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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