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井上 義行(いのうえ よしゆき、1963年3月12日 - )は、日本の政治家、参議院議員(1期)。元内閣府官僚。 内閣官房内閣参事官補佐・内閣官房長官秘書官・内閣総理大臣秘書官などを歴任。 選挙ポスターなどは井上よしゆきと表記される。 == 来歴 == 神奈川県小田原市出身。小田原市千代小学校・小田原市立千代中学校を経て、相洋高等学校卒業〔井上義行公式ホームページ | プロフィール 〕。小田原の市営住宅で生まれ育ち、高校では体操部に所属。卒業後、日本国有鉄道に就職〔。国鉄で働きながら、日本大学経済学部通信教育課程を卒業した〔。1988年、国鉄民営化に伴う人員整理の煽りを受け、総理府(後の内閣府)に移籍。 就任早々上司から「国鉄の人間に行政ができるか」と罵倒されるが、官邸整備などの仕事に地道に取り組んでいった。 1996年、内閣第一係長時代に北朝鮮の不審船対応で、日本で初めての海上警備行動の指揮をとった。 1998年、小渕内閣の額賀福志郎内閣官房副長官の秘書官〔キャリア官僚(課長補佐級)が就く役職で、正確には官房副長官の補佐が主任務となる内閣官房職員の通称。国務大臣秘書官のような特別職ではなく、一般職。〕 となる。 2005年10月、安倍晋三内閣官房長官の秘書官(政務担当)に就任。 2006年9月、安倍の内閣総理大臣就任に伴い、政務担当・内閣総理大臣秘書官に就任。2007年9月、内閣総辞職に伴って総理大臣秘書官を退任、同時に退官した。また、千葉科学大学の客員教授なども務めた〔。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に神奈川17区から無所属で出馬し落選。2010年8月、みんなの党神奈川県第17区支部長に就任。2012年、第46回衆議院議員総選挙に再び神奈川17区からみんなの党公認で出馬したが落選。 2013年7月、第23回参議院議員通常選挙にみんなの党から比例区候補として出馬。47,757票を獲得して党内最下位の4位で初当選した。 2014年11月、みんなの党が解党。2015年1月、日本を元気にする会結党に参加し、国会対策委員長に就任する〔〕。 2015年12月7日、日本を元気にする会に離党届を提出。離党届は受理され、所属議員数が5人を下回る日本を元気にする会は政党要件を喪失した〔元気、政党要件を喪失 井上氏の離党届を受理 朝日新聞〕。 同年12月24日、会派「自由民主党」は井上の入会を参議院事務局に届け出た〔井上義行氏が自民会派入り 毎日新聞〕(比例選出議員のため入党はせず)。 2016年1月14日、自由民主党の派閥である清和政策研究会(細田派)に会員として入会した〔井上氏、細田派に正式入会 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上義行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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