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井上角五郎 : ウィキペディア日本語版
井上角五郎[いのうえ かくごろう]

井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日1860年11月30日) - 昭和13年(1938年9月23日)は、日本の実業家政治家東京府平民〔『人事興信録. 7版』(大正14年)い一一〕。
壬午事変後に朝鮮政府の顧問となり、朝鮮初の近代新聞漢城旬報」を発刊〔#慶應義塾史616-617頁〕。また初めて漢文ハングル混合文体を実用化した「漢城周報」を創刊〔〔。甲申政変に深く関与し、金玉均朴泳孝と関係を持った〔。第1回の帝国議会衆議院議員に当選以来連続当選14回、第47回まで14回代議士を務める。北海道炭礦鉄道社長、日本製鋼所設立者、会長〔中部のエネルギーを築いた人々 ~井上角五郎 〕〔小田原市 | 第4章 アメリカへ 〕、国民工業学院理事長、慶應義塾評議員等を歴任し、大正9年(1920年緑綬褒章下賜。京釜鉄道南満州鉄道の設立にも関わった。閔妃の実甥・閔泳翊から贈られた琢園
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
備後国深津郡野上村(現広島県福山市古野上町)出身。
6歳から寺子屋で手習いをはじめ、8歳から備後福山藩儒学者山室汲古に漢字を習い始めるが学業優秀だったため山室の推薦により飛び級で福山藩校誠之館に特例入学。入学後は漢学と数学を学び数学が特に優秀だったため準得業生(特待生)となる。
1873年、井上家の所有地内にその地区で初めて小学校が設けられたが、当時14歳の井上は村人に請われその学校の教師となっている。17歳で広島県立尋常師範学校福山分校に入学、19歳で卒業しいくつかの小学校に勤務したが、翌年同郷の先輩小林義直を頼り上京。三月ほどして小林の薦めで福澤諭吉書生となり慶應義塾に入学、1880年23歳で本科を卒業。卒業後は後藤象二郎書生となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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