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井上達三 : ウィキペディア日本語版
井上達三[いのうえ たつぞう]
井上 達三(いのうえ たつぞう、1877年(明治10年) - 1950年(昭和25年))は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍中将
井上成美海軍大将の実兄。井上達三の家族関係については、井上成美#家族・親類関係を参照。
本記事の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、17-19頁。
==経歴==

宮城県仙台に生まれる。小学校時代は山梨勝之進海軍大将と同級。
東北学院を経て、陸軍士官学校に進んだ。士官候補生(士候)11期、1899年(明治32年)11月卒業〔秦郁彦編著 『日本陸海軍総合事典』 東京大学出版会1991年(平成3年)、96頁。〕。陸軍砲兵少尉に任官。士候11期の著名な同期生には、寺内寿一元帥〔、多門二郎中将〔『日本陸海軍総合事典』 86頁。〕[両名とも陸軍大学校(陸大)21期]〔『日本陸海軍総合事典』 526頁。〕がいる。
井上は、陸大を卒業せず、人事慣例で陸大卒と同等とみなされる資格(後述)も有しない「無天組」ながら〔山口宗之 『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 清文堂、2005年(平成17年)、49頁。〕、臼砲・要塞砲の開発に寄与した重砲の権威で、少将として重砲兵学校長を務め、1932年(昭和7年)12月7日に中将に進級する〔と同時に輜重兵監に補され、1935年(昭和10年)8月1日まで同職を務めた〔『日本陸海軍総合事典』 312頁。〕。
井上が畑違いの輜重兵監に補されたのは、輜重兵出身者の人材不足を補うためだった。井上は、輜重には素人ながら人格識見の卓越した教育家であったが、輜重兵出身者はなかなか納まらず、大臣官邸に座り込みをするなど騒いだ一幕もあった〔額田坦 『陸軍省人事局長の回想』 1977年(昭和52年)、芙蓉書房、50頁。〕。
帝国陸軍では、陸大卒業者は、それまでの実績に基づく序列にかかわらず、陸士同期生の最右翼に置かれる特権的待遇を受け、他の陸士同期生を引き離して昇進した。また、砲工学校高等科優等卒業者、国内外の大学に派遣されて学位ないし工学士・理学士等の学士号を得た者は、陸軍の人事慣例上、陸大卒同等とみなされた。〔『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 46頁。〕
陸軍史上、技術系の要職を歴任して大将に親任された「技術将校たる陸軍大将」は4名いる(士官生徒9期 田中弘太郎、士候5期 吉田豊彦、士候7期 緒方勝一、士候11期 岸本綾夫)〔『陸軍省人事局長の回想』 215-217頁。〕。うち、緒方は、陸大卒業者・砲工学校高等科優等卒業者・学位ないし学士号保有者」の三要件のいずれにも該当しない「無天組」であった〔『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 47頁。〕。同じく「無天組」の技術将校であった井上は、大将親任には至らなかったが、緒方に準じた処遇を受けて中将に昇ったと思われる。
士候11期で、陸大卒業者以外で中将に進級した者は、井上を含めて7名いた〔。
うち2名(東京帝国大学造兵学科卒業の岸本綾夫1936年(昭和11年)8月1日に大将に親任される】、砲工学校高等科優等卒業の勝野正夫)は、「陸大卒同等とみなされた資格」を有する技術将校であり、陸大卒の寺内と多門に1年遅れるだけの1930年(昭和5年)8月1日に中将に進級した〔。
士候11期の陸大卒業者以外の中将進級は、井上を含む3名が1932年(昭和7年)12月7日に進級したのが最後であった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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