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井上 長三郎(いのうえ ちょうざぶろう、1906年11月3日-1995年11月17日)は、日本の洋画家。 1931年、第1回独立美術協会展で同協会賞。1953年から1956年にかけて、日本美術会の委員長を務める〔日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴 日本美術会サイト内〕。 ==経歴== *1906年11月3日神戸市に生まれる。2歳で両親に連れられ、大連に渡る。 *1924年、帰国して太平洋画会研究所に通う。鶴岡政男、靉光と出会う。二科展、独立美術協会展などに出品。 *1929年、鶴岡政男らと太平洋画会研究所でストライキ〔池袋モンパルナス関連年表 〕。 *1935年、独立美術協会会員となる。 *1938年、フランスに渡る。 *1940年、美術文化協会に参加。 *1943年、鶴岡政男、靉光、松本竣介、麻生三郎、糸園和三郎、大野五郎、寺田政明と新人画会を結成。同年5月の美術文化協会第4回展に出品した「埋葬」と「騾」に続いて、9月、東京府美術館(現東京都美術館)で開催された「国民総力決戦美術展」に「漂流」を出品するも、これらは「暗く」「厭戦的」してすべて撤収される〔神戸新聞Web News 四人の画家の戦争 〕。 *1947年、自由美術家協会会員となる。 *1956年6月、日本美術会の文化使節としてソ連に渡る〔日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴 日本美術会サイト内〕。 *1972年、第25回日本アンデパンダン展の実行委員長を務める〔日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴 日本美術会サイト内〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井上長三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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