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井伊直定[いい なおさだ]
井伊 直定(いい なおさだ)は、江戸時代の近江彦根藩第9代および第11代藩主(10代藩主および12代藩主、8代当主という数え方もある→参照 彦根藩)。 == 生涯 == 第4代藩主井伊直興の14男。母は平石氏。早世が多い直興の息子のうちでは最も長命であった。正徳3年(1713年)に従五位下因幡守を叙任され、彦根新田藩1万石を分知された。しかし享保19年(1734年)、異母兄・直惟の要請により養子となり、新田藩を本家に還付し、翌享保20年(1735年)に直惟の隠居と共に正式に彦根藩を継いだ。 質素倹約を旨とし、奏者番を務めていたことから率先して規律を守り実践していた。江戸城中でも握り飯の弁当を持参していた。 兄達に似て病弱であったため隠居を決めたが、実子直賢がまだ幼若であり、宝暦4年(1754年)6月19日に甥で兄直惟の子の直禔を養子として継がせたが、彦根に下ろうとしたところ直禔が急逝し、他家からの養子は幕府より許可が下りず、やむなく病身を押して同年8月29日に再勤となった。 再び宝暦5年(1755年)、直禔の弟・直幸を養子として隠居、宝暦10年(1760年)に死去した。享年61。法名は天祥院殿泰山定公大居士。遺骸は彦根の清涼寺に葬られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井伊直定」の詳細全文を読む
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