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井出隼平 : ウィキペディア日本語版
井出隼平

井出 隼平(いで じゅんぺい、1991年5月3日 - )は、将棋棋士新四段誕生のお知らせ - 日本将棋連盟〕。田丸昇門下。棋士番号は305。神奈川県横浜市出身〔。
== 棋歴 ==
父から将棋を教わったのをきっかけとして、小学校3年当時から「将棋サロン吉祥寺」(後に荻窪に移転)に通い棋力を上達させた〔田丸の弟子の井出隼平三段が最終日の時点で確率が1%弱の厳しい状況で奇跡の四段昇段 : 田丸昇公式ブログ と金 横歩き〕。
2003年に将棋サロン吉祥寺の席主から、指導対局に訪れた田丸昇を紹介され、師弟関係を締結〔。同年9月に6級で奨励会に入会。奨励会入会以降も、将棋サロン吉祥寺に毎日のように通い、主にアマチュアの強豪選手と練習対局を続けた。棋士・奨励会員が有志で結成する研究会には時間的な束縛を苦として所属しなかった〔。田丸及び席主の理解もあり、順調に昇級・昇段を続け、2009年7月に三段に昇段。
三段リーグには2009年度後期(第46回)より参加。
その間、2011年9月に将棋サロン吉祥寺が閉店し、練習の場所を失った井出はリーグにおける成績が低迷した。
2011年11月に将棋サロンが荻窪に移転〔昨年の11月に東京・吉祥寺から移転して新規開店した「将棋サロン荻窪」 : 田丸昇公式ブログ と金 横歩き〕して以降は調子を取り戻しコンスタントに勝ったものの、四段昇段に繋がる好成績は修められず、11勝5敗で最終日を迎えた参加7期目(第52回・2012年度後期)の三段リーグでは、井出が連勝し、宮本広志が1敗以上すれば四段昇段の可能性があり、将棋サロンの席主が将棋会館に赴き吉報を待ったにもかかわらず、17回戦で敗れたため昇段には至らなかった。
以降、再び成績不振に陥ったものの、田丸との話し合いの席で「何かを変えてみるといい」とアドバイスを受けてから、当初消極的だった公式戦の記録係を積極的に勤めたり、棋風の幅を広げたりして乗り越えた〔。
そして迎えた参加13期目(第58回・2015年度後期)の三段リーグでは、初戦から3連敗するなど前半戦は4勝5敗と負け越したものの、後半戦で連勝を重ね、10勝6敗で最終日を迎えた。
当期三段リーグは都成竜馬が最終日を待たずに優勝(四段昇段)を決定させて、2位争いが熾烈な状態であった。
11勝5敗が佐々木大地を含む4名(うち1名は井出より前期成績に基づく順位が上位であった)・10勝6敗のうち井出より順位が上位であった参加者が2名いたため、井出が2位になるためには、井出自身が連勝した上で、11勝5敗で井出より順位が上位であった1名が連敗し、他の5名が1敗以上喫することが条件とされ、その確率は0.78%とされていた〔。しかし最終日の対局結果において上記の条件が全て満たされたため、井出が逆転で2位に繰り上がり四段昇段を決定させた〔第58回奨励会三段リーグ戦 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井出隼平」の詳細全文を読む



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