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井戸川辰三[いとがわ たつぞう]
井戸川 辰三(いとがわ たつぞう、1870年1月13日(明治2年12月12日) - 1943年5月24日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 宮崎県出身。薩摩藩士・井戸川唯一の長男として生まれる。1890年(明治23年)7月、陸軍士官学校(1期)を卒業。翌年3月、歩兵少尉に任官し歩兵第24連隊付となる。近衛歩兵第3連隊付などを経て、1895年(明治28年)4月から11月まで台湾(乙未戦争)に出征。1898年(明治31年)1月、参謀本部出仕となり、清国差遣、参謀本部付などを歴任。日露戦争では兼大本営付、特別任務従軍(北京発)、満州軍総司令部付、兼新民府軍務官などを務めた。この間、1904年(明治37年)12月、歩兵少佐に昇進した。 1905年(明治38年)11月、関東総督府付となり、参謀本部付、歩兵第3連隊付、歩兵第11連隊大隊長、東京衛戍総督副官などを経て、1909年(明治42年)6月、歩兵中佐に進級。翌月から1911年(明治44年)まで私費でイギリスに留学。1911年6月、歩兵第59連隊付となり、清国出張、参謀本部付を経て、1912年(明治45年)7月、陸軍省副官兼陸相秘書官に就任し上原勇作陸軍大臣に仕えた。 1913年(大正2年)8月、歩兵大佐に昇進し本郷連隊区司令官に着任。1915年(大正4年)4月、歩兵第62連隊長に就任し、参謀本部付、近衛歩兵第3連隊長を歴任。1918年(大正7年)7月、陸軍少将に昇進し歩兵第39旅団長に着任。 1920年(大正9年)5月、近衛歩兵第2旅団長となり、第1師団司令部付を経て、1922年(大正11年)8月、陸軍中将に進み由良要塞司令官に就任。1923年(大正12年)8月、第13師団長に親補された。1925年(大正14年)5月、予備役編入となった。その後、振武義会会長を勤めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井戸川辰三」の詳細全文を読む
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