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井手俊郎[いで としろう] 井手 俊郎(いで としろう、1910年4月11日 - 1988年7月3日)は日本の脚本家。子はプロ野球・元中日ドラゴンズ選手の井手峻。 == 来歴・人物 == 佐賀県出身。東京高等工芸学校卒業。図案家・イラストレーターとしてフリーで活動していたが、戦時体制になってきたため定職につくことを考え東宝宣伝部から声がかかったので東宝に入社する。宣伝部を経て劇場担当になったところで戦争になり兵役につく。敗戦後、会社に戻ると撮影所に配属され、プロデューサー助手となる。プロデューサーとして製作にかかわった1949年の『青い山脈』で監督が脚本家の台本を気に入らず、仕方なく脚本を執筆したところ気に入られ、これが脚本家デビューとなる〔石坂洋次郎の「青い山脈」という小説を映画化することになりました。これを最後の仕事にしようと思って、脚色をシナリオライターのA氏に頼みました。ところが出来上がったシナリオが監督のB氏の気に入らないのです。別にむつかしい内容でも何でもない、通俗的な青春物なのに、どうしても二人の意見が合わない。(略)会社からせきたてられる。他のライターに頼もうとも思っても引き受けてくれる人はいません。(略)とうとう自分で小説の中から何となく面白そうなとろだけを拾い出してつないでみました。(略)B氏に見せました。これでいこうということになりました。(井手俊郎「シナリオ作家協会通信講座 テキスト9」4~5頁)〕。 東宝と関係が強かったため、松竹の中村登監督作品には、権藤利英のペンネームを使って参加した。権藤利英の由来は打ち合わせに使っていた喫茶店ゴンドリエの名前である〔小林久三『雨の日の動物園』キネマ旬報社、1984年、p.202〕。
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