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井本 熊男(いもと くまお、1903年5月1日 - 2000年2月3日)は、日本の陸軍軍人及び陸上自衛官。山口県出身。 == 略歴 == *1925年(大正14年):陸軍士官学校卒業(37期)、歩兵少尉に任官 *1928年(昭和3年):歩兵中尉に昇任 *1934年(昭和9年):歩兵大尉に昇任 *1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる *1938年(昭和13年):歩兵少佐に昇任 *1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀 *1941年(昭和16年):中佐に昇任。 *1943年(昭和17年):陸軍大臣秘書官となる *1944年(昭和19年):大佐に昇任 *1945年(昭和20年):第2総軍参謀となる *1945年(昭和20年)8月6日:広島市への原子爆弾投下で被爆、負傷する。 *1952年(昭和27年):警察予備隊第4管区総監(保安監補) *1954年(昭和29年):統合幕僚会議事務局長に就任 *1959年(昭和34年):陸上自衛隊幹部学校校長に就任 *1961年(昭和36年):退官 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井本熊男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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