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井浦 祥二郎(いうら しょうじろう、1902年(明治35年)3月31日 - 1965年(昭和40年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。 ==略歴== 福岡県朝倉市出身。旧制福岡県立朝倉中学校より海軍兵学校第51期入校。席次は入校時293名中70番、卒業時255名中31番。太平洋戦争中、軍令部作戦部や第六艦隊などで参謀として潜水艦作戦の立案に携わる。潜水艦に関する航空本部と同様の中央機関の必要性を訴え、潜水艦部の発足に尽力〔『潜水艦隊』朝日ソノラマ pp.111-116〕。戦後B級戦犯に問われ巣鴨刑務所に収監された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井浦祥二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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