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井田 博(いだ ひろし、1920年〈大正9年〉 - 2006年〈平成18年〉5月13日)とは、戦前の1939年(昭和14年)から模型業界に関わり、戦後の日本で、プラモデル需要拡大期に初めての模型専門雑誌を創刊した、有限会社モデルアート社の創業者である。 福岡県出身。 == 井田の来歴&日本プラモデル業界史 == * 1939年(昭和14年)、19歳で模型店を開業、学校教材として素材が紙飛行機、ゴム、グライダーの「模型飛行機」を複数の学校で採用など前途洋々なスタートを切る。 * 1942年(昭和17年)、軍隊に召集・激戦のビルマ(現ミャンマー)戦線へ配属後1943年に負傷、帰国の途となり1945年に終戦を福岡県で迎える。 * 1946年(昭和21年)、学校での科学教材として、再度模型飛行機が着目され福岡県の八幡地区小学校・中学校から講師に招かれ、報酬の代わりにライトプレーン・木製模型の注文を得る * 1947年(昭和22年)、模型を扱う「博巧社」を開業、ゴム動力ライトプレーン、玩具電気機関車などで模型店を再開、 * 1949年(昭和24年)、九州の小倉井筒屋デパートから出店要請を受け模型部(テナント)コーナーとして出店(出店期間1949-1995年)、当時のデパートで商売している「信用力」は絶大で、井田の模型業界での飛躍していく分岐点となった。 * 1958年(昭和33年)、マルサン商店から国産プラモデル「ノーチラス」潜水艦模型が発売された。 * 1959年(昭和34年)、井田の経営する井筒屋・模型部で、東京から仕入れて来た初めてのアメリカ・レベル社プラモデル販売される。 * 1959年(昭和34年)、日本模型(※以下ニチモ)、ゴム動力自動浮沈装置付きのニチモプラモデル・伊号潜水鑑が100円で発売され、井田の店舗でも好調な売れ行き。日本全国で約100万個を売り上げる爆発的な人気に、形勢はライトプレーンや木製模型から、プラスチックモデルへの流れが進んで行くこととなる。 * 1960年(昭和35年)、三共製作所(※以下三共模型)、三和模型の2社が他社との競合を避けた低価格路線を打ち出した。価格を1個30円とし、井田の店舗では単価の安さに当初、取り扱いをしなかったが売り出して見ると爆発的人気に。当時の子供達にプラモデルの作る楽しみ・集める楽しみを浸透・普及させる入門モデルとしても大成功を収め、三共模型の約1/150スケールピーナツシリーズはピーク時・月商1000万と言う、1個100円のモデルでは驚異的な売上げを叩き出した * 1961年(昭和36年)、田宮模型の戦車模型第一弾、モーター動力「パンサータンク」が発売、良く走る走行性能に人気が集中。 * 1966年(昭和41年)、井田の発案で「九州プラモデル博覧会」を同業の模型店10店と共同開催し、プラモの競技会や、模型メーカーの製品紹介ブース協力も得て盛大に開かれた。 * 1966年(昭和41年)、井田の尽力で、航空機関連の出版を手がける出版社の協力を得て、日本で初めての模型雑誌専門誌、モデルアートが創刊される。定価100円、創刊号は2万部発行された。 * 1966年(昭和41年)、キャラクタープラモデルの需要が沸騰し、今井科学のサンダーバード、マルサン商店の怪獣シリーズなど。井田の店舗では、単独店舗として今井科学・サンダーバードに登場する「ゼロエックス号」プラモデルが日本全国売上げ1位となり表彰される。 * 1970年(昭和45年)、井田が企画し、グンゼ・ハセガワ・フジミのメーカー協賛を得て「プラプレーンコンテスト」のイベントを日本全国規模で開催される。 * 1977年(昭和52年)、日東科学のサーキットの狼スーパーカープラモデルブームが起こる。 * 1978年(昭和53年)、バンダイ模型の宇宙戦艦ヤマトプラモデルが発売、ヤマトブームに乗り需要が拡大する。 * 1979年(昭和54年)、プラプレーンコンテスト、第10回の開催をもって終了。 * 1981年(昭和56年)、機動戦士ガンダムのプラモデルがバンダイ模型より発売され、記録的なヒットとなり、マスメディアにも取り上げられる社会現象になる。 * 1995年(平成7年)、ミニ四駆プラモデルが田宮模型から発売され、記録的なヒット、ミニ四駆の売上げは空前の500億円を超えるヒットとなり、この売上げを活用して田宮模型の1/35MMシリーズの完全新作が発売されていく。 * 2001年(平成13年)、長年経営に携わった、有限会社モデルアートの社長職を退任、後任に井田の次男が就任する。 * 2003年(平成15年)、日本科学技術振興財団からの依頼で航研機(こうけんき)復元プロジェクトに関わり、井田の助言の元・完成。 * 2003年(平成15年)、井田の著作、「日本プラモデル興亡史 -わたしの模型人生- 」が発売される。 * 2006年(平成18年)5月13日、死去、86歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「井田博」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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